年明けのある日、
取引銀行の方から
「高校3年の夏に弟さんと一緒に
スーパーマーケットで
アルバイトをした事がありまして。
喜一郎さんは今は?」と聞かれた。
弟は44歳に
現世の人ではなくなったことを伝え
お線香をあげていただいた。
彼は今60歳になるのだそうで
弟も生きていれば60歳になるのだと
再認識した。
想えばあれから七年間は
弟・両親の3つの葬式を出し
嵐の中のようであったが
新しい命や出会いにも恵まれた。
「禍福はあざなえる縄のごとし」と
自分としは納得して生きてきた。
その時、
年末に聞いた言葉が浮かんだ。
「組合の理事長をやると災いが降りかかる。」
確かに歴代の理事長の会社で
商売をたたんだ会社もあるが、
各々に事情があってのことだ。
わが社も商売は続けており、
災いが降りかかった側だとは
これぽっちも考えていなかった。
が、しかし、
もしかして弟の早逝と両親の他界を
他人は災いと感じているのかもしれない。
それともまだ他に
私の知らない災いがあったのか?
世の中に五万とある不幸・不条理の中で
本人が災いだと思ってもいない出来事でも
他人は災いと認識するのか。
そうだとしたら
災いとは一体何なんだ?
幸福の岸にいると思っている人間が
対岸の不幸の岸にいる人間に向かって
勝手に貼り付けたレッテル。
人間は皆、
無防備な柔らかい心、
弱い心を持って生まれる。
年を経るにしたがい
辛い思いをしながら強く、優しく、賢くなる。
これはごほうびだ。
年の経り方は千差万別。
出来上がった人間も千差万別。
天から受けた課題にどう向き合うか。
ご褒美を楽しみにしながら課題に取り組むとしよう。